でぃふぁいんどの空間

京都の大学生による戯言

人にものを教えるのは難しいという話

僕は塾でバイトしているのだが、そこでのお話

 僕は某個別指導塾でバイトしていて、小学生から高校生まで、また幅広い成績層の人に学校の勉強を教えている。今日はそこである生徒の話をしたい。

 

彼は、中学2年生で指導当初中2数学単元の連立方程式の指導を行う予定だったらしい。しかし、どうもちんぷんかんぷんなようだった。どうやら一次方程式もよく理解していないらしい。

 

人というのは一度理解して期間がたつと、理解していなかった時の記憶をなくしてしまうもので、僕も授業を始めた直後は彼がなぜ一次方程式を理解できないのかわからなかった。例えば次のような問題である。

 

問、xを求めよ

3x-8=x+2

 

解き方を言うまでもないと思うが、適宜移項を施して求めればよいだけである。(x=5)

 

しかし、彼の場合この移項という操作にピンと来ていないようだった。その理由を知るのは初めは難しかったが話を聞くうちに理由が明らかとなった。

 

それはつまり「=」という記号の解釈である。当たり前であるかもしれないが、「=」とはその右辺と左辺が等しいことを示す記号である。だからこそ右辺と左辺に同様の数を足したり引いたりする操作が許されて、これが移項が可能な根拠となる。

 

しかし彼はこの「=」という記号を左辺を計算した結果を示す記号と捉えているようだった。一見上と一緒のことを言っているように聞こえるかもしれないが全く違う。彼にとっては「=」の左側が計算されるべき問いのように見え、右側はその結果に見えている。すなわち、「=」の右辺と左辺は等価ではないと考えている。

 

そんな彼にとって↑の問いは不思議なものに映るだろう。それを解く過程での移項という操作も奇妙に思えて仕方ないはずだ。

 

この誤解は小学生の時に習ったことを思い出せば仕方のないことなのかもしれない。小学校の算数は変数を求める問題でなく、計算によって値を求める問題が主だったので、その点においては「=」の記号も彼のような理解で何ら問題なかっただろうし。

 

やっぱり人に教えるのは難しいなあと思ったひと時でした。