でぃふぁいんどの空間

京都の大学生による戯言

「美少女になりたい」を分析する話

言葉をそのまま受け取るのは危険だろう。

 よくオタクのツイッターを見ていると散見される言葉の一つに「美少女になりたい」というものがある。この言葉に隠れるオタクの心理を考えたい。そのために以下を仮定する。

この発言者はトランスジェンダーでなく、また異性愛者である

これは議論の単純化のために導入した。性的マイノリティーの切実とした変身願望と切り分けるためである。そもそもそのような願望なら「女性になりたい」となるはずである。

 

そもそも「美少女」とはどのような概念だろうか?容姿が美しく若いことは必要条件ではあるが十分条件ではない。私はこの概念を「萌えへの参加権」と捉えたい。「萌え」とはまた複雑な概念で、何にそれを感じるかもひとそれぞれである。ツンデレ、姉、妹、ロリ……etc。しかし、そのどれにも共通するのは媒体が「美少女」であるということである。実際、特徴的な口調、ヤンデレといった現実の女性では到底難しい属性を「萌え」へと昇華できるのもこの「美少女」性ではないか。このような形而上学的概念こそ美少女という存在の核をなしている。

 

では、本題に入ろう。オタクの言う「美少女になりたい」とはいかなる意味か。結論から言うと、「物語世界に自己を導入したい」という意味である。オタクが愛好するような、「萌え」の概念を含有する作品にはつらい現実とは違って美しい世界が広がっている。しかし、オタクにとって素の自分の姿ではその物語への参加権をもっていない。なぜなら、オタクは(というより現実の人間存在は)「美少女」性をおびていないから。百合の間に男が入るのがタブーとされるのもこれが理由である。

この問題を解決するには次の2つの方法がある。

A、物語は物語として受け入れ自分は現実を生きる

B、自らが美少女性を帯びる

Aは簡単に思える。しかし、物語を物語として100パーセント自分と切り離せるほどオタクは健全ではない。架空のキャラクターの関係性に「尊さ」を感じ、特定キャラクターに性的欲望すら向けたりする。フィギュアやタペストリーで少しでも自分の好きなキャラクターを現実存在に近づけようとする。

そこで浮かぶアイデアがBである。Aが自身と物語を遠ざけるアイデアとするなら、Bは自身が物語となるアイデアである。辛い現実からの逃避と物語への憧憬の表出が「美少女になりたい」の真意である。

 

(誤解無きように述べるがここで言う「辛い現実」とはあくまで物語世界との比較であり、この発言をしているからと言って精神的に追い込まれているなどということを意味するのではないと考える。)

 

しかし、この願いは当分達せられそうにはない。オタクよ、強く生きて。